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寛容についての書簡 [本(古典)]


世界の名著 27 ロック・ヒューム (27)

世界の名著 27 ロック・ヒューム (27)

  • 作者: ロック
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1968/01
  • メディア: -



John Locke が1688年の名誉革命後、亡命先、オランダから帰国して1689年にロンドンで出版されたものです。(英訳版)
その直前にはオランダでラテン語で出版されていました。(どちらも匿名で出版)
日本国憲法の中にも流れている、「信教の自由」の確立に貢献した書簡とも言えると思います。
実際、イギリスでは翌年?「寛容法」が発令されました。

イギリスでは、中世後期ころからローマ教皇と対立することが多くなりました。
そして、ヨーロッパに宗教改革が起こり、1500年代を通じて、カトリックではなく、プロテスタントを信奉する人々も多くなり始めました。
その様な中、エリザベス女王は、ローマから独立した形のイギリス国教会をスタートさせましたが、1600年代になり、プロテスタントである清教徒(ピューリタン)と国教会の対立が大きくなっていき、結局、1649年、ピューリタン革命が起こり、国王チャールズ1世は処刑されてしまいました。

その後、クロムウェルの治世、王政復古と続きますが、チャールズ2世の後を継いだジェームズ2世は、カトリックの復活を推進し、議会と対立します。
議会は、プロテスタント国オランダの統領であるオラニエ公ウィレム3世に嫁いでいたジェームズ2世の長女メアリー夫妻にイングランドへの上陸を要請しました。オランダ軍2万は、イギリスに上陸しロンドンに迫りましたが、イギリス軍はジェームズ2世にあいそをつかし戦いませんでした。
これが無血革命と言われる所以です。
その時、ロックも亡命先オランダから帰還したというわけです。
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この書簡の中でロックが言わんとしていることは、簡単に言えば、「政教の分離」と「信教の自由」についてです。

以下、抜粋。(要するに、為政者【政治】は宗教に口を出さない方が良いという事)
 為政者の権限がこうした社会的なことがら以上には及ばず、政治的な権力や権利や支配がこれらのものの護持・増進のための配慮だけに限定され制約されていて、けっして魂の救済にまで手を伸ばしえない、また伸ばすべきでないということは、以下の考察によって十分に証明されると思われます。
 第一に、魂への配慮は、いかなる他人にもゆだねられないことで、為政者にも同じくゆだねられはしないからです。神はそれを為政者にゆだねませんでした。神は、だれかを自分の宗教に強制して引き入れるというような権威を、いかなる人にも与えはしなかったのです。
 第二に、魂への配慮は為政者の関知する問題ではありえません。なぜなら、為政者の権力はただ外的な力にのみ存するものだからです。しかし、真の救済的宗教は心の内的な確信のうちにあり、それなくしては何事も神に受け容れられることはできません。
 第三に、法の厳しさや刑罰の力が人々の心を変え確信を抱かせることができたにしても、それはそれらの人々の魂への救済にはまったく役だたないでありましょうから、魂の救済への配慮が為政者の仕事に属することはありえません。

ま、政治の力が強すぎて、宗教を圧迫しすぎていたのですね。但し、為政者といえども人間の心までは支配する事はできません。
また、寛容は為政者だけに求めるものではなく、教会、私人、聖職者にも義務であると主張しています。

最後にロックは、寛容に扱われるべきでない人々として「無神論者」、「神の存在を否定する人」をあげています。
これは、ちょいと前の トマス・モアも全く同様の事を言ってますね。
厳しい意見ですが、ぎりぎりのところで生きていた時代の人々の本音でしょう。
なぜなら、本当に神を信じている人は、本心から他の人々に善行を行う事に喜びを感じており、悪をなす事を戒めているからです。
やはり冷静に考えて、この世界の成り立ちを偶然の産物と見るか、神が意図してこの世界と人間を創ったか、どちらを信仰するかは、決定的な違いでしょう。何千年も昔から宗教が存在し、神への信仰が尊ばれていたにも関わらず、なおかつ神を信じないという人々の存在は、一種の無神論信仰とも言えるでしょう。

現代の日本にも、この「無神論信仰」が蔓延っています。
特にマスコミ中心に日本を覆っています。
数少ない全国新聞、全国系テレビ局の思想が日本の思想の様になってしまっています。
これも完全な洗脳です。

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