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釈迦の本心―よみがえる仏陀の悟り [仏法真理(救世の三部作+α)]


釈迦の本心―よみがえる仏陀の悟り

釈迦の本心―よみがえる仏陀の悟り

  • 作者: 大川 隆法
  • 出版社/メーカー: 幸福の科学出版
  • 発売日: 1997/11
  • メディア: 単行本



映画「仏陀再誕」も公開間近ということで、無理を承知で「釈迦の本心」のことを書きます。
自分の悟りや能力では、かなり荷が重いのですが・・・。
しかし、少しでも映画「仏陀再誕」の何等かのフォローになるならば、ということで何とか書きます。

まずは超初心者の方へ。
あたり前のことですが、仏陀(ぶっだ)と釈迦(しゃか)は同じ人です。

目次は以下になります。

第1章 菩提樹下の悟り
第2章 八正道の発見
第3章 六波羅蜜多の思想
第4章 「空」の思想
第5章 縁起の法
第6章 人間完成の哲学

この本には、仏教の中核思想が語られています。
「仏教とは何であろうか?」
という人々の疑問に答えられる本ではないかと思います。
現代では、仏教、キリスト教、イスラム教が世界宗教と言えるわけですが、何故、一人の人間の生涯と、その教えが、死後、何千年にも渡って国境を越えて広がっていくのか?
仏教の教祖は、お釈迦様ですが、お釈迦様が説いた教えは単なる道徳的な教えではなく、それが「宗教」であることに意味があると思います。
わけのわからん「友愛」程度の言葉では、誰も本当には感動しませんし、納得しません。
その言葉の裏に、どれだけ真実を会得しているか、
どれだけ人間と宇宙の真実を知っているか。
心の秘密を知り尽くしているか。
どれだけ、神や天使や悪魔、天国と地獄の存在を把握しているか。
この世界の成り立ちと未来図を見通しているか。
それが本当の宗教家と言葉だけの宗教家、政治家、などとの違いでしょう。
人間としての真実には、国籍、民族、性別、年の差、この世の肩書きなどは関係ありません。

第1章 菩提樹下の悟り
とありますが、お釈迦様にしても最初からすべてを悟っていたわけではありません。
悩み多き若者、とまではいかないかもしれませんが、いろいろ人生に疑問を感じて王子の身分を捨てて「出家」したのですね。
当時は、けっこう「出家」は流行っていたようです。
といっても、まだ当然、仏教は無いわけですから、宗教的指導者になるべく、身分も家族も捨てて家を飛び出す、といった感じでしょうかね。

そして、ゴータマ(お釈迦様の本名)は師を求めたり、難行苦行をして「悟り」を求めていく。
しかし、いくら経っても悟れない。
ある時、スジャーターという村娘にミルク粥をめぐまれます。
難行苦行の修行のあまりろくに食べていなかったので、ものすごく生き返ったようになりました。
この経験によって、ゴータマは、まず悟りました。
極端な苦行のなかにも、王宮の恵まれすぎた生活にも人間の本当の生き方はない。
両極端な生き方ではなく、ぶれない中道の行き方が大事であると。
その後、ゴータマは菩提樹下にて悟りを開くことになるのですが、その前段階として「降魔成道」とも言われる、魔との闘いがありました。

悟りを開く前に、魔が、なんとかゴータマを悟らせないように妨害したということですね。
悟りたる者が出てしまうと、真なる教えが広まってしまうからです。
真なる教えが広まってしまうと、魔にとっては、その生活空間を奪われてしまいます。
魔にとってのエネルギー源は、地上の人間の悪想念ですから。
エネルギー源を断たれると、その存続に係わりますしね。
たぶん、この辺は映画「仏陀再誕」にもリアリティ持って描かれているのではないかと思います。
見てないのでたぶんですが。
結局、仏教の出発点に、「魔との闘い」があるということですね。
その魔も、出発点は、他人の魔というよりは、自分自身の心の奥に潜む魔との闘いです。
ただ、大事な点は、「己心の魔」といっても、単なる空想の産物ではなく、本当に実在する、という点でしょうか。
人間の心も、生命の大樹の一部ですから、いろいろな世界につながっているということですね。
やはり、道徳と宗教の違いの大きな点は、宗教ではストレートに、神や天使や悪魔、天国と地獄の存在を語る点にあると言えましょう。
ゴータマは結局、「執着を断つ」という心の調律によって魔に打ち勝ち、大悟(たいご)します。

以下の章は、心を調律して悟りに到るための方法論です。「はちしょうどう」、または「はっしょうどう」と読みます。
「反省」の原点とも言えましょうか。
第2章 八正道の発見
1 八正道とは何か
2 反省法の神秘
3 正見(しょうけん)
4 正思(しょうし)
5 正語(しょうご)
6 正業(しょうごう)
7 正命(しょうみょう)
8 正精進(しょうしょうじん)
9 正念(しょうねん)
10 正定(しょうじょう)

要するに、仏教の「出家者」は、この「八正道」を深めていく必要があるということです。
現代の、一般的?なお坊さんが、どれだけこの「八正道」のことを知り、実践しているのかはよくわかりませんが、少なくとも仏陀の教えの最原点は、この「八正道」を基本とした「反省の教え」にあるということですね。
これがしっかりできないと魔に打ち勝てない!
反省無くして悟り無し!!
もちろん、自分自身のためにも、出家者であろうがなかろうが、反省の教えは知っていた方が当然良いわけです。自分で自分の心を救済することがある程度可能になるからです。
つまり、地獄から天国へ上がる方法でもあります。

第3章 六波羅蜜多(ろくはらみた)の思想
1 内在する叡知
2 思いと行動
3 利自即利他
4 布施波羅蜜多(ふせはらみた)
5 持戒波羅蜜多(じかい-)
6 セン提波羅蜜多(せんだい-)
7 精進波羅蜜多(しょうじん-)
8 禅定波羅蜜多(ぜんじょう-)
9 般若波羅蜜多(はんにゃ-)

六波羅蜜多に関しては、「八正道」の心の調律に留まらず、行動に関する教えとも言えましょうか。ある意味、「八正道」の更に上の教えとも言えますか。菩薩の境地に到り、更に菩薩から梵天(ぼんてん)の境地へ行くための実践論的教えでもあります。
まだまだ自分に語る資格はそんなありませんので、そのくらいに留めます。
ちと漢字がめんどくさいのも少しはあるが・・・。
梵天とは、菩薩と如来の間ぐらいの悟りです。悟りのレベルは最終章へ。

第4章 「空」の思想

「から」の思想ではありません。「くう」です。
4章も、ちと荷が重いです、が、この章を読んで、語り合うだけで「悟り」は上がるのではないでしょうか。
レベル【高】です。
転生輪廻、天国・地獄、そういったものはあたり前の前提条件で、更に次の話をしているようなものですから。
全然説明になってない・・・。

第5章 縁起の法
は、ちょっと内容を抜粋します。

人生は原因・結果の連鎖でできあがっています。
常によい原因をつくるという姿勢さえ忘れなければ、時間がたつにつれて、よい結果ばかりが周囲に出てくるようになるでしょう。
p217

第6章 人間完成の哲学

要するに、「悟りに到る道」とは、限りない人間完成の道であるということですね。
転生輪廻は前提です。
悟りのもレベルがあるのです。
「悟りのチャレンジ」とは、人間が永遠に進化する道筋でもあるのです。

・阿羅漢向(あらかんこう)→心が穏やかでとらわれがなく、少々のもめごとや波風があっても心が乱されない状態。そして、自らをよく振り返り、精進を怠らず、ある程度、天上界からの指導も受けられる状態。
・阿羅漢果(あらかんか)→阿羅漢向が三年続く状態。
・菩薩→阿羅漢の状態で三回連続転生して、その心境を維持(一千年)
・如来→菩薩の成功体験を一万年以上

しかし、かなりハードな内容のブログです。
一般の人が読んで理解可能でしょうか?

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な、な、なんと、「釈尊(しゃくそん)の生涯と教え」ということで「ネパール釈尊館」のホームページに懇切丁寧によく書かれているではないですか。六波羅蜜多も全部説明付きで。
今、気付いた・・・。
詳しくはここ読んで。
http://www.nepal-buddha.jp/life_and_thoughts/


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