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新・高度成長戦略【池田勇人・下村治・高橋亀吉・佐藤栄作の霊言】 [仏法真理(霊言-政治、軍事)]





池田勇人・下村治・高橋亀吉・佐藤栄作の霊言です。
まあ、「ALWAYS 三丁目の夕日」みたいに、昭和という時代がどんどん懐かしい昔の話になってしまいますが、この霊言は、昭和を駆け抜けて行った人々の霊言です。
解説はWikipediaから引用。

池田勇人
(1899年-1965年)日本の大蔵官僚、政治家。第58・59・60代内閣総理大臣。
日本全国を争乱の渦に巻き込んだ60年安保で岸政権が倒れると、1960年(昭和35年)7月14日に自由民主党総裁選挙に立候補して当選し、自民党第4代総裁に就任した。5日後の7月19日、内閣総理大臣に就任し、第1次池田内閣が発足した。
同年12月8日に第2次池田内閣が発足すると、以前から言及していた「所得倍増」を目指す構想を実行に移し、12月27日に所得倍増計画の閣議決定をする。
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どうも個人的にはいろいろ学歴コンプレックス等、感じているようで、話もけっこう自嘲的です。
菅政権など批判しつつも、ちょっと日本も一度落ちて、そこから這い上がった方が発展をまた味わえていいのではないか、という意見を持っています。
今の日本は貧乏神に取りつかれていて発展する意志がそもそも無いと。
しかし、それをそのまま受け入れていたら幸福実現党を立ち上げた意味がありません。

下村 治
(1910年-1989年)日本の経済学者。池田勇人内閣で高度経済成長のプランナー。
1960年代前半の池田内閣の国民所得倍増計画立案に中心的役割を果たし、日本の高度経済成長のメカニズムを体系づけた。第一次石油ショック以降はゼロ成長を提言した。
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「新・所得倍増論」という事で、現実的な話をしています。
いろいろ研究題材になりそうで、たぶんまともに書いていたら長くなるので別途書きます。

高橋 亀吉
(1891年-1977年)経済評論家・経済史研究者。
1918年、東洋経済新報社入社。
入社直後に欧米視察を経て『東洋経済新報』の「財界要報」欄を担当。
処女作の『経済学の実際知識』が好評を得、『東洋経済新報』編集長や取締役を経て、1926年(昭和元年)に退社。フリーとして活動を始めて、1932年(昭和7年)に高橋経済研究所を創立すると『高橋財界月報』を刊行して経済評論において先鞭をつける。
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1998年に「ザ・リバティ」で、高速道路無料化論を打ち出しましたが、高橋亀吉さんの霊示によるものだったそうです。その後、民主党にパクられてしまいましたが。
これも長くなりそうなので別途ブログに書きます。

佐藤栄作
(1901年-1975年)日本の鉄道官僚、政治家。第61・62・63代内閣総理大臣。第56・57代内閣総理大臣岸信介の実弟。
1964年(昭和39年)10月16日に中国が初の核実験を成功させたことに危機感を覚え、直後の1965年(昭和40年)1月12日よりアメリカのホワイトハウスで行われた日米首脳会談において、当時のリンドン・ジョンソン大統領に対し、日本の核武装を否定した上で、日本が核攻撃を受けた場合には日米安保条約に基づいて核兵器で報復する、いわゆる「核の傘」の確約を求め、ジョンソンも「保障する」と応じたことが公開された外交文書から明らかとなっている。
反共産主義で一貫して親台派アンチ中共の立場を取り続け、中華人民共和国の国際連合加盟に総理在任中は反対し続けた。
退陣会見では「国民に直接話がしたい」「偏向的な新聞は大嫌いなんだ」と語って新聞記者を会見場から締め出しテレビカメラに向かって独演するという異例の会見となった。
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「兄がおせわになりました」といった感じで霊言を始めています。
内容は、人材論とマスコミについて言及しています。
人材を育て、日本の防衛も堅持し、日本の戦後安定期を築いた人ではないかと思います。
まあ、霊言の内容からはあまりわからないかもしれませんが、思想的には幸福実現党に近いのではないですかね。マスコミとも闘いますし。
こういったタイプの総理大臣が今後の日本に出てくれると、日本もかなり長期に亘って繁栄する感じがします。

ちょっと今回は解説の方が長くなってしまった。
いずれにせよ、高度成長期の日本を参考にして、更に大きな平成の繁栄を創り出していきましょう。
民主党政権を早く終わらせてね。

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