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「首相公邸の幽霊」の正体 [仏法真理(霊言-政治、軍事)]


「首相公邸の幽霊」の正体 (OR books)

「首相公邸の幽霊」の正体 (OR books)

  • 作者: 大川 隆法
  • 出版社/メーカー: 幸福の科学出版
  • 発売日: 2013/07/23
  • メディア: 単行本



まえがき
1 「首相公邸の幽霊」を透視する
2 「日本の行く末」を憂える近衞文麿
3 「憲法改正」を目指す廣田弘毅
4 「中心人物」は東條英機
5 安倍首相守護霊に「国を守る気概」を問う
あとがき

近衞文麿(このえ ふみまろ、1891年(明治24年)10月12日 - 1945年(昭和20年)12月16日)
3度にわたり内閣総理大臣に指名され、第1次近衞内閣、第2次近衞内閣、第3次近衞内閣を率いた。第1次近衞内閣では、盧溝橋事件に端を発した日中戦争への対応に当たった。新体制運動を唱え、第2次近衞内閣の治世下にて大政翼賛会を設立した。さらに、日独伊三国軍事同盟や日ソ中立条約を締結した。
太平洋戦争中、昭和天皇に対して「近衛上奏文」を上奏するなど、戦争の早期終結を唱えた。また、戦争末期には、独自の終戦工作も展開していた。太平洋戦争終結後、東久邇宮内閣にて国務大臣として入閣した。大日本帝国憲法改正に意欲を見せたものの、戦争犯罪容疑をかけられ服毒自殺した。

広田弘毅(ひろた こうき。1878年(明治11年)2月14日 - 1948年(昭和23年)12月23日)
1933年(昭和8年)9月、斎藤内閣の外務大臣に就任。
1936年(昭和11年)3月、岡田内閣が二・二六事件の責任をとり総辞職した後首相に就任。
戦後A級戦争犯罪人として対アジア侵略の共同謀議や非人道的な行動を黙認した罪等に問われ、極東国際軍事裁判で文官唯一の死刑判決を受け、1948年(昭和23年)12月23日、巣鴨プリズン内で絞首刑に処される。
城山三郎著『落日燃ゆ』の主人公との事。

東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)
現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任した(在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年(昭和19年)7月18日)。
永田鉄山の死後、統制派の第一人者として陸軍を主導する。日本の対米英開戦時の内閣総理大臣。また権力の強化を志向し複数の大臣を兼任し、慣例を破って陸軍大臣と参謀総長を兼任した。敗戦後に連合国によって行われた東京裁判にてA級戦犯として起訴され、1948年(昭和23年)11月12日に絞首刑の判決が言い渡され、1948年(昭和23年)12月23日、巣鴨拘置所で死刑執行された。享年65(満64歳)。

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基本、上記の3人だそうですが、東條英機さんが中心になって会議をしているそうです。
未だに日本は戦後と言われているくらいですからね。
彼等が成仏するためにも、この国のあり方が大きく変わらねばなりません。

ホント、大川総裁の霊言で、戦前、戦中と、この国がどういったシチュエーションにあり、誰がどう思って大東亜戦争が行われたのか、かなり明らかになって来ました。
けっこう政治家、軍人も、上の方のクラスになると、対米戦争は避けたいと、かなり現実的に考えていた事がわかってきた。
そして、相当ひどい、アメリカの嫌がらせもあった。
かなりルーズベルトもずるかった。

はっきり言って、真実を知れば知る程、日本が一方的に軍事的覇権を狙っていたとか、侵略戦争だったとか決して言えませんね。

日本が軍事力を強化していたのも、そりゃ、当時の欧米のアジアの植民地化を見れば、やむを得ないところも、かなりあります。
日本は資源が無いですし。
アメリカに石油を止められ、かつ、東南アジアはすべて欧米の植民地となり、マジでどうやってサバイバルしていくか? という難問を突き付けられたわけですな。

靖国神社参拝がどうのこうのと、中国、韓国にブーブー言われているわけですが、彼等は欧米による植民地化に対して、全く戦っていませんからね。
日本が戦わなければ、今も、アジアの全域は欧米の植民国家だった事を忘れてもらっては困ります。

中国軍、韓国軍は欧米支配に対して全く何もしていないのです。
日本は、空母艦隊を造り、陸軍は補給を断たれても戦い続け、最後は、B29や、機動艦隊に特攻で立ち向かって、原爆まで落とされた。
中国、韓国に靖国神社参拝の文句を言われる筋は全く無く、逆に感謝すべき事なのです。

日本はアジアの光だったし、今後もそうなるのです。
私は、大東亜戦争を戦った日本の歴史を誇りに思う!!!
右翼とか関係ありません。
「よく、欧米の植民地化に対して戦った」と、命がけで戦った過去の日本人に感謝しているのです。


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