映画「沈黙―サイレンス―」にみる「信仰と踏み絵」 ~スコセッシ監督守護霊とのスピリチュアル対話~ (OR books)

  • 作者: 大川 隆法
  • 出版社/メーカー: 幸福の科学出版
  • 発売日: 2017/02/08
  • メディア: 単行本



スコセッシ監督守護霊とのスピリチュアル対話

遠藤周作の小説を映画化
ハリウッドの巨匠は、映画「沈黙」で何を描こうとしたのか。

「神への不信」と「日本への偏見」を世界に印象づけたスコセッシ監督の最新作。
作品のテーマに潜む、問題点と危険性を検証する。

▽監督の「人生観」「宗教観」にみる現代知識人の「常識」の問題点
▽長崎に原爆が落とされたのは当然だという印象を与える日本人の残虐な描写
▽命が助かるなら、踏み絵を踏むべきか?
 ――宗教の立場からみた見解とは
▽神は決して「沈黙」などしていない
 いまこそ、本物の信仰が問われる時代

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今回のSAPIOなどでも宗教特集をやっていているけど、どうしてこう 現代の人々は宗教的真理がわからないのだろうか?
本当に、霊言とか嘘だと思っているのかね?
腹話術かなんかだと思っているのだろうか?

まあ嘘と思っている人々は、生きているうちか、死して後かわかりませんが、絶対に100%反省する事になります。
そもそも宗教で、「人間は霊的存在である」って事を言わない宗教は、かなり問題外ですわ。

「人間の本質は肉体ではなく霊的存在である」
「あの世の世界(天国・地獄)は100%ある」
「神仏は人間の創造の産物では無く、本当に人間を指導している」

もう本物の宗教ならば、これは絶対に人々に説いています。
イエスも仏陀も、何千年に一度は人間として生まれて、これを説いています。
イスラム教だって日本神道だって同様でしょう。

ま、SAPIOで問題外の宗教学者である島田氏は、随分わかったような事を述べていますが、この世から宗教が消え去ったら、唯物論がこの世界の常識になり、人間の魂修行の場としての地球も、存在意義が無くなるという事です。

「死んだら何もかも終わり」
「善悪も何も無い」
「人間は機械と同じだ」

という意見は、悪魔の意見ですね。
というか、悪魔は人間に、そう思わそうとしているのです。

という事で、前置きが長くなりましたが、この今回の霊言の監督など、まさにそうじゃないって感じ。
自分はこの「沈黙」って映画は見ていませんが、いかにも宗教映画の様な感じを装って、実は信仰とかを馬鹿にする映画ではないか? と思われますね。

現代社会は、科学の進歩=真なる宗教の否定
と、単純に考えすぎているようですが、全然間違っている考えですね。
別に、霊的存在や霊界だって、本当は科学の延長線上にあるだけであって、その研究方法、解析方法、探究の方法がわかっとらんだけの話ですね。
生きてる人の守護霊という存在も、そうした仕組みで人間の魂が創られているわけだけど、それを証明する方法が現代では守護霊霊言でしかないだけの事。
逆に、科学が遅れているとも言える。

だから現代科学などまだまだ幼稚なレベルである事に気がつかねばならないのだけど、今の科学程度が最高だと思っていると、もうその先は何も無い世界になってしまうのだ。
まっこと馬鹿な話だよ。

今、日本に幸福の科学が出て、霊界も含めて宇宙の神秘のベールも垣間見る事ができている。
人間の魂の仕組み、宇宙の仕組みのかなりの部分が既に明らかになっている。
日本人は最低限、そのことに気が付かねば次なる時代は無い、という事です。