3冊の中で、やはり一番厳しいと言えるでしょうね。
何と言いますか、
もう「自己実現」という領域は超えてしまっているのではないかなあ。
まあ、仏法真理の中にも、よく「自己実現」というワードは出て来るのだけれども、
あまり既存の自己実現という言葉と同じようにとらえるべきではないでしょうね。
悟りの先にある自己実現は、自分個人の計画・満足といったものを当然、超えたところにあると言えるだろう。
例えば、
「自分はこうした存在になりたい」
と思って、頑張って努力して、そうなったとしても、
反面、仏神が望む、全人類幸福化計画が失敗してしまったのであるならば、やはりその自己実現は、仏神の心と、ちょっと方向性・角度が幾分ずれていた、という事にもなりましょうか。
10,神の御手足になり切ることが、自己実現のすべてである。
との事なのです。
まーホント、自分のための人生などは、ほどほどに考えた方がいいですな。