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ハイエク―マルクス主義を殺した哲人 [本(政治全般)]


ハイエク―マルクス主義を殺した哲人

ハイエク―マルクス主義を殺した哲人

  • 作者: 渡部 昇一
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 1999/01
  • メディア: 単行本



自由主義の大切さと、共産主義・社会主義・全体主義の恐さが伝わって来ます。
まあ、「今更、共産主義・社会主義・全体主義も無いだろう」という人もけっこう多いとは思いますが、現代社会において、まだまだその思想は死んでいないと思います。

以下は、あまり本の内容に沿っていません。徒然なるままに書きます。

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平等を叫ぶ人達には注意が必要です。
往々にして平等と言っても、結果の平等を、嫉妬や不平不満から求めている場合が多いからです。努力した人と努力しなかった人の結果を同じにしてしまっては、それは悪平等です。正義の名の下の本当の平等ではありません。平等とは機会の平等に留めるべきでしょう。
その後は自助努力により結果が分かれた方がよいでしょう。
無限の努力の余地があった方がよいのです。

また、自由の名の下に一部の人々の自由のみを守ったり、人々を狂わせたりする意図にも警戒しなくてはいけません。
自由な状態とは、確かに何でもできるという意味合いはありますが、道徳の崩壊、倫理観の崩壊、社会の崩壊、宗教的教えの崩壊、そういった状態を自由というならば、それは本当の自由ではないでしょう。
人間の根本に遡って考えると、人間の魂は本来、仏神から分かれてきたものであり、本質において良きものであるわけです。時間の差はあっても、すべての魂は、仏神から分かれ、再度、仏神に還って行く長い長い旅をしているわけです。そういうわけで、本質的には善であります。
本質的に善である存在が複数という存在になり、そこに現われて来るのは「発展・繁栄」の姿でしょう。
つまり、「長い目で見て、自分も他人も発展、繁栄し、幸福になっていく」
こういった姿が自由の本質だと思います。
いろいろな経験から悟りを高め、自分も他人も、共に幸福になっていこうとする姿勢の中に無限の自由があると思うのです。
確かに自由ですから他人を傷つけたり、自分を傷つけたり、堕落したりすることもできますが、やはりそれは幸福な状態ではないでしょう。そんな状態で100年も1000年も居たら、たいていの人間は、もとの幸福な状態に戻りたいと思うでしょう。
自由とは、いろいろな方法を通して、自分も他人も真の意味で幸福になっていく道ですかね。
本当の宗教とは思想ではありません。事実を述べているにすぎません。
真実に目を瞑るのは自由な立場ではないでしょう。
「真実を知らずして真の自由はない」と思います。

それと、現代日本のマスコミの言っている自由は、どうも信用し難いところが往々にしてあります。
現代日本のマスコミは独占とまではいかないけど、寡占状態すぎます。
特に、テレビ局と大新聞のことです。
あまりにも一部の人々が全国ネットを牛耳りすぎだと思います。
ほとんど洗脳に近いですよ。
マスコミの寡占は、一部のマスコミ関係の人にのみ「言論の自由」が与えられているのと同じです。
自由を自分達に都合良い方に解釈していると思います。
特にテレビ局は、規制で守られすぎではないのでしょうか。

自由競争がない分野は、本当に駄目になってしまいますね。
農業、金融、テレビ局、官僚等ですか。

ま、平等と自由を語りましたが、あえてどちらかを選ぶとするならば、自由の方を選ばなくてはならんでしょう。
なんだかんだ言って、自由には可能性があります。
最大の可能性は人間の発展の可能性です。
そして、平等の必要性とは、その自由を行使するチャンスにおいて、一人一人に平等の権利が与えられてしかるべきであろう、というところにあると思います。
あくまでも自由の方が大事でしょう。

しかし、現代は国家の力が大きくなりつつありますな。
どうも税金が高くなり、国が企業や個人を面倒みるのが当然の様になりつつある感じですね。
「セルフ・ヘルプ」の精神を復活させないといかんでしょう。

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