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神理学要論―新時代を拓く叡智の探究 【第二章 知性の本質】 [仏法真理(愛・知・反省・発展)]

NHKを見ていた。
何だか恐竜が滅びて哺乳類が生き残った理由を映像を交えて説明していた。
その中で、ナレーターの発言で非常に気になったことがある。
何だか、ネズミの様な哺乳類が恐竜に追われて逃げ惑っている姿を映像で紹介して「これが私たちの祖先の姿なのです」というような事を言っていたと思う。
まあ、要するに「ダーウィンの進化論」を基準にドキュメンタリーを作っていたわけです。

この本の第二章は「知性の本質」という演題ですが、まず、現代的知性の問題点ということで、「教育への信仰」を語っています。

→私たちは今、大きな逆説に、直面しているわけであります。
いままで、近代の科学、および科学を含むところの学問が、ここ百年、二百年の間でやってきたことは、まさしく神の世界、あるいは霊の世界、宗教の世界への懐疑であり、この懐疑が単に懐疑にとどまらず、事実であるということ、すなわち無益なものであり誤謬であるということを立証するという、そういう役割に徹してきたわけです。
しかし、今われらは、この二十世紀の最終段階にある地点において、これをひっくり返さねばならないところに来ているわけであります。
(注.当時はまだ20世紀でした)

確かに、ここ100年、200年の近代文明の流れは、如何に神や仏から遠ざかるか、如何に霊とか神秘思想を教育の場から排除していくか、これに徹していたのではないだろうか。
例えば、ダーウィンと同時代に霊的な進化論の様な事を説いたウォーレスという人は、完全に教科書等から抹殺されてしまっている。
また、マルクスの「共産党宣言」が出された1848年頃から心霊主義(スピリチュアリズム)が相当活発化しているのですが、ことごとく歴史から抹殺ですね。(「神秘の法」など参考)
コナン・ドイルが交霊会やったり、エジソンが霊界通信機を作ろうとしたりした事も、正規の学問から外れたと認識されてしまった。

確かに、実学を中心とした近代科学は、物質世界をかなり進化させたところはある。これは事実であるが、どうして人間は極端になってしまうのかねえ。近代科学を推し進めたら、霊的な事や宗教的な事を全面的に否定する方向へ流れて行ってしまった感がある。

正直言って、現代文明の科学的考えなるものが崩壊する瞬間が近づいていると思いますね。
それは今、幸福の科学出版から出ている書籍が、その起爆剤になるのではないかと思う。
つまり、霊言により人間の本質は魂である、という事が常識化されてくる事と、もう一つは、
宇宙人とかUFOというものが、本当に存在するのだ、という事実が常識化されていく事じゃないかな。

霊言が数ヶ月で20冊くらい出版され、
最近、中国上空にUFOが現われて、空港を麻痺させた。
しっかし日本国民は、まだそれが何なのか理解できないのだろうか?
それは知性では無く、カラに閉じこもっているだけでないか。

どうか、「科学的に証明できたことだけを信じる」というような態度が、如何に人間の進歩を止め、場合によっては破滅へと導く、という事実に気がついてもらいたいものだ。

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