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神理学要論―新時代を拓く叡智の探究 【第三章 反省と霊能力】 [仏法真理(愛・知・反省・発展)]

仏法真理で「反省」は、ちょっと難しい部類に入るかもしれません。
この本の演題では、「反省と霊能力」となっていますので、霊能力の部分に関しては、自分も解説不能です。
あまり持ちたい能力でもありませんし、能力が無い事によって平和に暮らせる部分もありますので。

まあ、自分も、人間の本質は魂だとか霊的なものだとかけっこう言っていますが、幽霊とか、お化けとか、それにまつわる恐い話とかは好きではありません。ヘルメス神とかが源流の神秘思想とかは大丈夫ですが、怪談とかホラーとかはできれば関わりたく無い話です。
ただ、問題は、それら恐い方に関わりたくないと思っている人々でも、知らず知らずに影響を受けてしまっている事がある、という事かな。

映画『仏陀再誕』を見た人ならわかる話ですが、主人公の女子高生・天河小夜子は、ある瞬間から霊が見えるようになってしまった。見えるといっても、やはりこの世界は成仏していない霊も多いようですので、大抵は悪霊の方が見える、という事になってしまうのですかねえ。
ま、当の本人は自分が悪霊などとは全く思っていない場合も多いのかもしれませんが、自縛霊(嫌な言葉です)とか生きている人間に憑依(ひょうい)したりしている場合も多い様です。
悪霊と言っても、まあ、生きていた時は、我々と同じ様に家庭生活をして、仕事をしたりしていた同じ人間なのだよね。だもんだから、悪霊というよりか「成仏してない人」と言った方がいいかな。

例えば、最近の霊言で、死後、対極の世界に還っている人を同じ本で出したりしてます。
岸信介 と 丸山眞男
アダム・スミス と 鄧小平
などですが、この差は一体どうしてできたのか?
やはり根本的には「愛と人間②」の部分でも語った、「与える愛」と「奪う愛」の部分だと思うのだよね。
現代社会で、その様な心の中の"思い"とか"考え"、そしてそれに基づいた行動、などというものを意識して生きる人は非常に少ないと思いますが、やはりその差が積み重なっているようです。

また、なんとなくでも神仏に対する信仰の様なものを持っている人の方が、唯物論、無神論的な考えの人よりかは遥かに天国への門は近いようです。
たぶん、天上界の協力も得やすく、「自分より上位の存在がいるのだ」という気持ちが謙虚さを作り出し、「与える愛」に近い心境である「感謝の心」が生まれやすくなる点も大きいと思います。

それで、ここからが「反省」の話になりますが、
「奪う愛」だとか、まあ、マイナスの想念や行いに関して、そのままでは地獄に落ちると思われる場合であっても「反省」によって軌道修正が可能なのです。もちろん、本心からの反省でないと意味がないですが、本当の反省は、心を浄化する働きがあるのです。
どうも本当に「反省」を行う事により、心から光が出て、その光が心のゴミを除去していく働きがあるようです。
かなり(未来)科学的な方法論でもあると思う。

ただ、当然、「反省」するためには基準が必要です。
最低限、善悪の判定を行える知識や認識力は必要でしょう。
例えば、仏教では八正道という反省の方法があり、幸福の科学でも日光精舎の研修などでやっていますが、やはりそれは会員でないと難しい部分もありますので、啓蒙思想として一般に浸透し易いのは、ラ・ムーの三正道かな。

一、人に愛を与えたか否かの反省
二、心の調和の反省
  (心が大きく乱れなかったか)
三、今日、何を学んだかの反省

しかし、場合によっては「反省」を「自分をいじめる事」ととらえてしまう事もあるので、その点は注意が必要です。
「自分は駄目人間なのだ」などと思う事も、マイナスの想念です。
反省する事によって、心が穏やかに、波立たない方向に、平和な方向に、人生が良くなると思える方向に、明るい方向に、ならないとイカンということです。

参考:

ユートピアの原理―救世の悲願 (救世の原理)

ユートピアの原理―救世の悲願 (救世の原理)

  • 作者: 大川 隆法
  • 出版社/メーカー: 幸福の科学出版
  • 発売日: 1990/12
  • メディア: 単行本



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