SSブログ

「反省の原理」② - 何故反省が必要か? [仏法真理(愛・知・反省・発展)]

反省の方法論も大事だが、「何故反省が必要か?」という事について、確実に押さえておかなければいけません。
ちょっと長いですが、「反省の原理」の「1.反省の意味」のところをよく読んでもらいたい。

-------------------------------------
settsupou.JPG
万物の霊長といわれる我々人間が、動物霊や、あるいは迷っているものなどにさまざまに影響されて、彼らのそのまちがった意図のままに人生を流され、運命の淵のなかに沈んでいくのを見る時に、私は、断固としてこうしたものの影響を排除していきたいと思うのであります。
そして、みなさん一人ひとりが、ほんとうに自分の人生を生ききったと言えるような、そういう毎日にしていきたいと思うのです。
みなさんの多くは、まったく自分のものと思えないような人生を生きていて、その結果を享受し、その責任を負わされているという、このような運命の流れのなかにあるのです。

けれども、あなたがたもほんとうに神の子であり、神仏の子であるとするならば、もはや目覚めねばならないと私は思うのです。そのようなものにいつまで惑わされているか。早く神の子としての自覚に目覚めよ。そして、本来の人間の誇り高き神性を光り輝かすべきである。その時がきている。
そう私は思うのです。

そしてその方法として、ひじょうに簡単に思えるかもしれませんが、二千年前も、三千年前も、そしてそれより遥か昔からも、人間は「反省が大事である」ということを教わり続けてきたのです。
-------------------------------------

以上を読んでもらって、更に付け足すとするならば、結局、反省とは自分のためでもあるという事です。
悪しき霊的な影響から自らの心を守る事になるのですね。
例えば、感情的に動物的に怒りを感じて、それを他の人にぶつけてしまった。
その後、何の反省もせず、そのままにしておくと、その怒りの波動が、そのまま心に沈着してしまうのではないかと思うのですよね。
で、それを重ねていくと、だんだんと怒りの心の傾向性が自分のものとなっていってしまい、性格となり、「これが自分だ」という様になってしまう。

そして、その様な心の傾向性を持って死んだ、地獄の阿修羅界に存在するものたちが、常に憑依している状態になってしまう。
ま、これは一つの例であり、マイナスの心の傾向性は、同じ様に心を侵食していってしまうのです。

人々が、この様になるのを防ぐために「反省」が必要なのです。
K1113.jpg

共通テーマ: