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幸福の科学学園の未来型教育―「徳ある英才」の輩出を目指して [仏法真理(教育、自助努力)]


幸福の科学学園の未来型教育―「徳ある英才」の輩出を目指して

幸福の科学学園の未来型教育―「徳ある英才」の輩出を目指して

  • 作者: 大川 隆法
  • 出版社/メーカー: 幸福の科学出版
  • 発売日: 2011/11/02
  • メディア: 単行本



第一章 幸福の科学学園の理念
第二章 学園生たちの日々の姿
第三章 理想の英語教育を求めて
第四章 新時代の科学教育のために
第五章 発展・繁栄を目指す教育を

政治を良くする事も大事、経済を好転させる事も大事な事ではあるが、やはり、その中心に位置するのは人間であり、どの様な人々が、その中で活躍できるかにかかっていますよね。
理想も何も無く、「人間死んだら終わりなのだから、生きている時は、なるべくいい思いをしていこう」と、思っている人々と、「人間には永遠の生命があり、人々の幸福のために貢献すればする程、自分も世の中も良くなっていくのだ」と、考える人々のどちらがよいかと言ったら、後者の方にきまっていますよね。

戦後、日本は、1990年頃までは、破竹の勢いで発展して来ましたが、その後、20年ばかり停滞が続いています。
やはり、この原因を深く追求しないといかんと思いますね。
「何故、発展が止まってしまったのか?」
まあ結局のところ、「あのまま突っ走っていったら何か問題があるのではないか?」と、考えるべきでしょうね。
で、その問題とは、「心の不在」という事になりましょうか。

経済や科学技術が発展する事は、何の問題も無いのですが、精神性の部分がついて行ってないのですよね。
「善悪の善の方を取る」とか、
「人間は自分のためだけに生きるのではなくて、人々の幸福のために生きるべきである」とか、
「この宇宙も、地球も、大いなる創造主によって創られたものであり、世界的宗教は、人々に向かうべき方向性を与えるために説かれたのだ」とか、
まあこういった基本的な事は、本来、教育の初期の段階で教えられなければいけない事柄であるのですね。

自分の母親も、熱心なクリスチャンでしたから、まあ、自分自身、宗教に対して否定的な感情を持つ事はありませんでした。
ただ、細い点については、いろいろ疑問は感じましたが、唯物論の方が正しいとか、唯物論に惹かれるとか、そう思った事は、一度もありません。

本当に、日本という国は、ここに来て一度、大きく変わらないといかんよね。
もっともっと人間の生き方とか、宗教とは何か? という事について深く考える雰囲気を創らねばならんよね。
猿に生まれたのなら、まあ、そういった事を考えなくてもよろしいのかもしれませんが、人間として生まれて、神とか仏とか、「他の人々のために生きる」とかいう事を全然考える事無く、一生を終えるという事は、非常に残念な事なのです。

どうか、もう既に大人となって、自分の子供の教育さえ終えていると思われる人も、再度、この本を読んで、教育の原点について考えていただきたいですね。
確かに、唯物論教育を受けて、それが当然だと思って50歳、60歳になった人達にとっては、もう自分が受けた教育がすべてなのかもしれませんが、「自分が受けた教育とは、特定の時代の、特定の国で、たまたまそういった背景があったため」と考えるべきなのです。
戦後、日本は、宗教や国家を否定する方向に教育が進んでしまいましたが、ま、それは敗戦という痛手を負って、そういった流れになってしまっただけであり、それは本来の姿ではないのです。

どうか宗教の正邪程度は理解した方がよい。
宗教は、どれもこれもアヘンだ、なんて考えは捨てなくてはいかんのです。

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大川隆法総裁、スリランカにて大講演会!


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