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幸福学概論 [幸福の科学大学]

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まえがき
1 学問的試みとしてのハーバードの「幸福学」
2 宗教は基本的に「幸福論」を説いている
3 哲学も、そもそも「幸福学」だった
4 「経営学」を一種の「幸福学」として捉える
5 キリスト教と仏教における「富」の考え方
6 近代哲学が遺した「負の遺産」
7 「グローバリズム」を超えた宗教的な智慧
8 宗教系の大学に対する「魔女狩り」
9 日本の「歴史認識」を見直す
10 宗教と資本主義、民主主義の関係
11 「徳の存在」としての天皇制と、他の宗教との共存
12 今、「幸福の科学の幸福学」を学ぶべき時代
あとがき

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今、幸福の科学大学設立という事で、文部科学省に、平成27年度開設予定大学認可申請を出しているわけです。
そこで、大学設置・学校法人審議会というものがあって、そこで審議されて認められ、最終的に文部科学大臣が許可をするわけですが、以前、田中眞紀子大臣が最後の最後で不許可を出して大問題になった事がある。

今回は、大学設置・学校法人審議会の方が幸福の科学大学設立に関して非常に厳しい要求を行って来ているようで、まっこと大変です。
この国は、自由主義国家ではあるが、いろいろなところで、役所の許認可があり、なかなかすんなりとはいかない事も多い。

役所の許認可が有効な部分もある事は認めるが、ただそれが、この国の活力を奪ったり、新しい事にチャレンジしたり、可能性の扉を閉ざしていく方向に働くものであれば、その有効性を疑問視せざるを得ない。

この本に述べられているように、宗教も哲学も、各種学問、経済、政治など、根本的には個人、及び社会が幸福に至るための手段であり、方法であり、知恵であると思う。
ただそれも、細分化すれば細分化する程、本来の使命を忘れてしまいがちである。
常に、その点を再認識する意味においても、幸福学なる分野は必要だと思うし、あるべきだと思う。
そして根源的な幸福学は、当然、宗教的なものを切り離すべきではないだろう。
宗教を切り離した幸福学では、善悪の判断、正義に対する考え方、死後の生命の永続性、そういったものが抜けた、無神論的側面から見た唯物論的幸福学しか成り立たない事になってしまう。
それでは普遍的でも何でも無く、世界にも通用しないだろう。

ちょっとgoogleで検索したので、どのHPにリンクされているかよくわからないのですが、「大学の設置認可制度に関するQ&A」という文部科学省が出している資料があり、以下の様な文面がある。

Q1:大学を設置するのに,なぜ認可を受けなければならないのですか。
⇒世界に通用する「大学の質」を保証し,学生の利益を守るためです。

Q6:大学を設置する地域や分野に制限はないのですか。
⇒地域や分野に制限はなく,社会のニーズを踏まえて設置することが可能です。

Q7:設置の基準や審査は,緩やかになってきていると聞きますが,社会の新し
いニーズにどのようにこたえていますか。
⇒社会の変化に対応した新しい多様な学部が,どんどん生まれています。

Q8:新しい学部を届出により設置できるようになったとどのような制度ですか。
⇒既存の組織と同じ分野であれば,届出で新しい組織が設定できます。

まあ、各answerは、もう少し長いので読んでもらえればよいですが、けっこうこのまま文面通り受け留められるものであれば、文部科学省 大学設置・学校法人審議会も、日本の発展繁栄に寄与している様にも見えるが、実際のところ、現時点では疑問である。

Q : 事前規制から事後チェックへ」と言われていますが,設置認可制度は不要なのではないですか。
⇒事後チェックだけでは限界があります。国際通用性の確保や学生保護のためには,一定の事前関与も必要です。

などもあるが、例えば、日本の審議会制度で、宗教に関する分野とか、軍事戦略に関するものなど、すっぽり抜けているのではないでしょうか?
本当に、内容を審議して「許可・不許可」を判断する事ができるのだろうか?

まあ各種疑問が多々あるので、今後もブログにて提示していきたい。

大学設置・学校法人審議会

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