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神理学要論―新時代を拓く叡智の探究 【第一章 愛と人間①】 [仏法真理(愛・知・反省・発展)]


神理学要論―新時代を拓く叡智の探究

神理学要論―新時代を拓く叡智の探究

  • 作者: 大川 隆法
  • 出版社/メーカー: 幸福の科学出版
  • 発売日: 1990/05
  • メディア: -



国家や文明の根底には、思想が流れていなくてはいかん。
かと言って、左翼思想や唯物論、無神論、人間機械論ではどうしようもない。
人間性は地に落ち、国家は衰退し、文明は崩壊するだけだ。

この国を根本的に創りかえるためには、仏法真理が必要なのだ。
という事で、根本的な教えである 「愛・知・反省・発展」 に関して自分なりに述べてみたい。
特に、こんなことをブログで書く人間も、まあ非常に少ないと思いますので、少しは希少価値はあると思う。
愛・知・反省・発展 で最低、4回分にはなるしな。
まずは”愛”です。

『神理学要論』という本は、もう20年も前、大川総裁が ウィークデイ・セミナーということで、会場で講演した内容になっています。
その第一回目は”愛”について「愛と人間」という演題でお話をされました。
何かいいよな、この演題。
哲学的というか詩的というか・・・。

今の日本では”愛”というと99%は、男女の恋愛とか、かなり世俗的な話と思ってしまうかもしれませんが、当然、もっと高次の愛というのもあるのです。
というか、愛とは、当初、神が人間を創った時まで遡って、大事であるとされているのです。

→遥かなる昔に、何億年、何十億年という遥かなる昔に、大宇宙の意識が分光して、さまざまな光に分かれ、その個性に応じた魂ができてきたという話を、以前にしたことがあります。そして、それは、事実であります。

実は人間の魂は、神から分光して出来た存在なのですね。
我々人間は、永遠の生命を転生輪廻している存在なわけですが、当然、最初の時があったわけです。
肉体が自分自身であるなど、とんでもない間違いであって、肉体は地上での乗り物にしか過ぎず、自分という存在は、もっとずっと昔から存在していたのです。
そして、その出発点が神であるのだから、”本来”人間というのは尊いのです。
これが「人間の尊厳」とかの根本の部分です。
唯物論では、この「人間の尊厳」を説明しきることは決して出来ないのです。

→ゆえに、幸福の原理の第一として、私は愛をかかげました。それはけっして思想的なものだからではなく、道徳的なるものだからでもなく、この宇宙ができて、そこに生命が誕生したときに、まず最初に必要とされたものであるからなのです。
 この愛というものを示しておかないと、もとなる姿を、親が何であったか、だれであったかを人々は忘れてしまうからです。自分達が、創り主から分かれてきていることを忘れてしまうからです。

やはり物事の本質を見るためには根源まで遡らねばいかんでしょう。
本来、宗教が説く愛というのは、ものすごく根源的なる話をしているのであって、自分と他人という個性が出来た最初のその時まで戻る話であるのです。
(自分が言っている宗教は、当然、世界宗教レベルのものを言っているのです)

→みなさん方の人生の目標は、ひとつしかありません。それは、いかに愛多き人間となるかということです。
いかに愛深き人間となるかということです。他のすべてのものを捨ててでも、この一点だけは、断じて手放してはなりません。

まことにまことに不思議なことではあるが、我々の生命の道筋とは、神から分かれたものが、再び神に向かって歩んでいく道であるということです。
「本来持っているものを発掘する旅」を歩んでいると言ってもよいかも。

ちょっと、とてもではないが”愛”を一度で語るのは無理ですね。
次回に続く。
タグ:愛と人間

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