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神理学要論―新時代を拓く叡智の探究 【第一章 愛と人間②】 [仏法真理(愛・知・反省・発展)]

「愛と人間」の続き。

愛について大事な点は、その方向性にあると言えましょうか。
「与える愛」であるという事。
ちょうど、光が近くにある他のものを照らすように、自分から他者、第三者に対して出て行く。

それに対して、その反対の愛は「奪う愛」ですが、光の反対のものというか、ブラックホールと言ったらよいでしょうか。他者から自分へどんどん吸い込んでいく。

まことに心とは不思議なものですが、大まかに言ってこの2つの状態に大別されます。
そして、その心の一生のトータルが魂の比重となり、天国、地獄へと分かれていくわけです。
だから、この世的にはとても不器用で、他の人から見たら不合理で愚かにも見え、自分のためには損だろう、と思われる「与える愛」の思いと行いが、実は天国への近道でもあるのです。
世のため、人のため、世界のために本心から生きればこそ、自分自身を最大限に発揮できる、という事になるのです。
この点については、もう物理学とかと同じレベルで語られてもよいのではないかと思いますね。高次元の心のエネルギーの法則と言えましょうか。
たぶん、そうなっていくと思いますが。

→一貫して私が言い続けていることは、みなさんが学び、実践するところの愛とは「与える愛」である、ということです。与え続ける愛であり、無償の愛であると。見返りを求めない愛であると。
 これは一生言い続けるつもりです。この基本的なことがわからないならば、一生言い続けなければなりません。そしてその単純なる教えが、この日本の全土に広がったならば、そして世界に広がったならば、この地球は輝いて見えるようになるでしょう。

愛を説いているのは、キリスト教だけでなく、仏教も愛の実践を重視しています。
ただ、仏教的には愛というよりも慈悲とか、布施の心とか言う場合が多いのではないかと思います。
お坊さんが、お椀とかを持って在家の人々に物を恵んでもらっている、という姿は、昔話とかでよくある姿ですが、実はあれは物を恵んでもらう修行ではなくて、人々に対して「与える」ということの修行の機会を与えているとの事です。

→もし今逆境のなかにあるならば、もし今、試練のなかにあるならば、今こそ愛の教えを実践するときだということです。このときこそ、この瞬間こそ、今こそが、この我にいかなる愛ありやを、我がいかなる人間であるかを、証明するときなのです。
そして、みずからが今後いかなる人生を生きていかんとするかを決めるときであるのです。

はっきり言って、人生は、この愛のベクトルを「奪う愛」から「与える愛」へと急激に変える事は可能です。この心の変化により、大悪人が天使へとチェンジする事が可能なのです。悪人と言えども生かされている理由はここにあるのだと。
まあ、人生はそう長くはないです。
たかだか数十年の物語です。
悪人として生きて、肉体生命を終えて地獄で数十年、数百年の反省の時を持つよりも、生きているうちに「与える愛」の心、天使的な心を持ち、死んだ時には天使軍団が総勢で迎えに来るような天国凱旋計画を持って生きた方がいいに決まっています。


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