「比較幸福学」入門 [幸福の科学大学]
知的生活という名の幸福
「ヒルティ」「アラン」「ラッセル」「エピクテトス」「マルクス・アウレリウス」「カント」「ショーペンハウエル」「ヘッセ」「渡部昇一」―――
知的生活を生きた彼らにとって、幸福とは何だったのか?
それぞれの幸福論の特徴と共通点を比較分析し、人類が追い求めつづける「幸福」を探究する。
まえがき
1 幸福学を探究する
2 「知的生活」と「幸福」について
3 「自助努力」と「富」の関係について
4 比較幸福学(1)――ストア学派と快楽主義
5 比較幸福学(2)――「三大幸福論」を比較する
6 比較幸福学(3)――その他の著名な幸福論
7 幸福な知的生活のために
あとがき
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テレビがあり、インターネットがあり、携帯やスマホが普及し、ラジオ、新聞、雑誌等、様々な情報が一日に入って来る現代日本社会。
けっこう本を読んだりするのも、億劫になることはわかります。
ただ、じーっと読書をする時間も必要かと。
というのも、読書の時間が無いと、心を落ち着ける時間が、あまり持てないと思うのだ。
そして、現在の自分を多少離れて物事を考える、という事もできにくい。
まあ、大川総裁は、知的生活とか、幸福論とかを説く事も多いのですが、そのことの意味を考えてみることも必要でしょう。
何故、知的生活とか、人間にとっての本当の幸福を求める必要があるのか?
そりゃまあ、あたり前のことですが、肉体的生活は数十年で終わるからだろうね。
たかだか100年も満たないで、肉体という車、戦車、潜水艦みたいな乗り物は壊れてしまう。
壊れてなくなるものに金と時間をかけるよりかは、その本体の乗っている方に、かけた方がよいということですか。
と言っても、この世から遊離して、おかしくなってもいけませんので、この世的生活や、一通りの常識は守りましょう。
この世の人とのお付き合いも大事。
ま、仲良くやっていきましょうや。
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