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テンプル騎士団 [本]


テンプル騎士団 (講談社学術文庫)

テンプル騎士団 (講談社学術文庫)

  • 作者: 篠田 雄次郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/12/10
  • メディア: 文庫



第1章 東征前夜(東征への呼びかけ、それまでの国際情勢 ほか)
第2章 十字軍の東征(奇襲の成功、十字軍に駆りたてたもの ほか)
第3章 近代的組織の発生(テンプル騎士団の創設、改革と革新 ほか)
第4章 テンプル騎士団の組織(テンプル騎士団会則、テンプル騎士団の最高幹部と装備 ほか)
第5章 栄光と壊滅(フィリップ美王の陰謀、国王と行政官僚 ほか)

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ちょっと個人的な関心から「テンプル騎士団」に関する本を読んでみた。
なんかこう、信仰と軍事力が融合したようなところが、自分の関心と重なるからでもあるからだ。

まあ、テンプル騎士団の概略についてはウィキペディアなどに書かれています。

創設は1096年の第1回十字軍の終了後の1119年であり、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立された。
とありますが、きっかけは十字軍にあります。
キリスト教の名の基に、イスラム教勢力と戦う事にありました。

現代の世の中もまだ、キリスト教勢力とイスラム教勢力がぶつかっていますが、ただ当時はまだ、キリスト教側の騎士道精神があったし、イスラム側もサラディンという英雄がいて、戦いに強いという事と、人格的に高貴な面に関しては、キリスト教、イスラム教の区別なく、つまり、敵味方の区別無く尊敬する風潮があった。
サラディンなどは、十字軍側にとっては敵ではありますが、非常に尊敬して認めていたのです。

どちらかというと、当時は、十字軍側の方が野蛮人(バーバリアン)的に残虐非道であり、占領したイスラム側を皆殺しにしていたようだ。文明的にはイスラムの方が先進国でもあったのです。

まあただそうしたなか、「テンプル騎士団」は、命を顧みず懸命に奮戦し、戦いによっては全滅に近いところもあったそうな。捕虜になるくらいなら死を選ぶ、日本の武士道に通じるようなところがあったのです。

「テンプル騎士団」は、基本的には修道士なので、自給自足です。
ただ、質素倹約なので富が、次第次第に蓄積していって、近代の金融の基は、「テンプル騎士団」にあるような感じです。

ただ最後、フランス国王フィリップ4世に妬まれて滅亡です。
拷問、処刑で、総長以下、フランス王支配圏の「テンプル騎士団」は1314年に壊滅してしまったのです。

まあホント、フランスという国は、表向きの華やかさの裏は、悪魔的な邪悪さが潜んでいる。
1431年に、今度は、ジャンヌ・ダルクが火刑です。
ドイツにヒトラーが出たという事を、あまり批難できる立場にはない国だと思いますね。

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以下、本の一部抜粋

テンプル騎士団も聖地の住民として、エジプト人ともシリア人とも等しく交際し、時として前者のカリフと後者のセルジューク・トルコとの間の葛藤の仲裁もするようになる。

蒙古軍は1256年にペルシアを征し、アササン騎士団を壊滅させ、バクダットをおとし、1259年、シリアに侵攻する。キリスト教徒はイスラム教徒と連合して防衛に専念するが、・・・。

教皇クレメンス5世と仏王フィリップ美王のテンプル騎士団への訴状127ヶ条になかでは、いっさいの遊戯を拝し、修道と戦技に明け暮れた彼らが狩猟を禁じたのは「異教より輪廻の思想を導入したがゆえ」であるという。

テンプル騎士は、原則として貴族出身、騎士体験、勇猛果敢、品行方正を条件として採用される。

テンプル騎士団の国際金融の中心地はロンドンの管区本部で、金融用語、経理簿記、銀行業務ノウハウがここに蓄積される。英国が斜陽になっても揺らぐことのないシティーを遺したのはこの騎士団である。

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