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教育の法―信仰と実学の間で [仏法真理(法シリーズ)]

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教育の法について
前回ブログに書いたのは、相当昔の事だ。
2011年2月ってことは、大震災のちょい前の事だ。
まあ、教育とは古くて新しい事。
進歩したり後退したりしながら、徐々にどうするべきかわかってくる問題でもあろう。

最近、よく考える事は、日本の左翼と言われる人々の存在と、
「河野談話」、「村山談話」に象徴される自虐史観についてだろうか。

自分の国を蔑んで見たり、簡単に、「中国の属国になればいいんだ」とか思うような人々が、今の日本には多かれ少なかれ存在するが、これは世界レベルで見ても、非常に珍しい状況にあるのではないかと思う。
渡部昇一さんが、昔、本に書いていたが、スペインが中南米の殺戮を行って、それ以降、自虐史観に陥ったとか。

ただ日本は、実際、大きな殺戮は行っていない。
南京大虐殺など、中国とアメリカによるプロパガンダだし、どちらかと言うと、殺戮される側の方が多かったのではないかと思う。
中国大陸では、通州事件とかその他事件でやられているし、
ペリュリュー島、硫黄島、沖縄も、アメリカの山のような火砲の嵐やロケット弾、火炎放射器等でやられている。
不可侵条約を破ったソ連にやられているし、B29による各都市の無差別爆撃や原爆でも、相当やられている。
客観的に見れば、相当やられているにも関わらず、自虐史観に陥っているわけだ。
別に、ソビエト連邦や中国共産党のように自国民を大量に粛清するような事も行っていない。

左翼の人々に言わせれば、「日本が戦争を仕掛けたのだから当然の報いだ」という事になるのだろう。
ただ、左翼は、日本人や有色人種が白人に差別されていたり、アジア、アフリカの大部分が欧米の植民地であった事に対しては何も言わない。
日本が大東亜戦争を戦わなければ、アジアやアフリカの大部分は今も欧米の植民地であった可能性は高いであろう。

で、結論的に言えば、やはり戦後の日本の教育がマズかったと言えるのではないか?
戦後、急速に復興したのはよかった事ではあるが、大事な部分がスッポリ抜け落ちた教育になってしまった。

①宗教心が失われた。
②愛国心が失われた。
③正義のために戦う勇気が低下してしまった。
等の柱の部分だよね。

個人でもそうだけど、自虐的になればなる程、いじめる勢力も拡張してくるものだ。
これは心の法則でもあろう。
今それが日本という国単位で起こっている。
日本が自虐的であるうちは、中国、北朝鮮による日本への攻撃は避けられないのではないかと思う。
ま、韓国による日本への批判もそう。
日本の誇りを取り戻すのは、自虐史観を捨てる事によって、日本に対するイジメ的な悪を引き寄せる悪想念を浄化するという意味合いもあるだろう。

実学的な勉強は、当然、他国に負けないくらいやらなくてはいけないが、①、②、③の復権に向けても、かなりの努力が必要だ。

タグ:教育の法
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