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「ファイナル・ジャッジメント」7/4(金)~13(日)フリー公開! [The Liverty]

集団的自衛権反対とか、憲法9条改正反対とか言っている人々は、防衛戦争が起こったらまず一番先頭に立って戦う必要があるだろう。
物凄く不利な条件で自衛隊に戦わせておいて、自分たちは「関係ない」では済まないでしょう。
どうか他国の支援無しに自分たちだけで戦ってもらいたい。
「そんなことは出来ない」
というのなら矛盾している。
人にそれを押し付けていて、自分たちがその立場に立ったら「出来ない」では、おかしいでしょう。

まあ、
もしくは北京に行って、中国の軍拡に反対するデモを行っていただきたい。
平和を脅かしているのは日本ではなく、明らかに中国なのだから。
中国が20年に渡る軍拡を放棄し、他国への侵略を止め、武装解除し、自国民やウイグル、チベットへの弾圧を止め、言論の自由・信教の自由を認め、一党独裁を止め、暴力で物事を解決する姿勢を止め、領土問題なども国際司法裁判所で解決するというのなら、アジアも平和になります。



集団的自衛権反対とか、憲法9条改正反対とか言っている人々は、軍拡を止めない中国はそのままにしておいて、日本だけが武装解除しろ、というのに等しい。
常識的に言って「どうかしている」としか言いようが無い。

侵略のための軍事力を増強している中国と、防衛のための法整備を行っている日本。
この立場の違いがわからんのだろうか?


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積極的な考え方で成功する―シュラーの成功法則 [★成功哲学]


積極的な考え方で成功する―シュラーの成功法則

積極的な考え方で成功する―シュラーの成功法則

  • 作者: ロバート H.シュラー
  • 出版社/メーカー: 産業能率大学出版部
  • 発売日: 1977/05
  • メディア: 単行本



1.できないと考える人とできると考える人
2.できると考えること-それは山をも動かす
3.「できない」というコンプレックスをなくす八つのステップ
4.想像力を働かせて、あなたの閉じこめられた可能性を解放しなさい
5.チャンスを見つけるには-あなたを導く六つのステップ
6.どのような問題にも解決はある
7.あなたを助けられるだれかがどこかにいる
8.忍耐-問題解決の鍵
9.もう最後だと思えるようなときは、しっかり耐えていなさい
10.山をも動かす信念-これがその働きかたである
11.さあ、できると考える人になりなさい

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子供の頃、自分は毎週教会に行っていた。
当然、当時はまだ幸福の科学もなく、キリスト教的な信仰がすべてであった。
ただ、「イエスを信じれば、イエスの十字架で罪が許される」
といった教えは、なかなか本当の意味で受け入れることはできなかったように思う。
あまり性悪説みたいな考えは本質的に合わなかったようだ。

ただしかし、キリスト教の中でも、この積極的思考のキリスト教は好きだ。
人生を後ろ向きではなく、前向きに見ている。
人間の魂の本質は、仏神の心とつながっていて、本質的には善であるのだ。
心の曇りも、悪なる行為も、本当に、反省・悔い改めをしたならば、その本質の部分が光り輝いて来る、といったことが本当のことなのだ。
ま、積極思考では反省・悔い改めはあまり言わないけど、あまりに消極的、自己卑下、暗い考え、失望、なども心の曇りであるので、反対の考えを入れて闇を排除していく力となる、ということですね。

積極思考の大家として、ノーマン・ビンセント・ピールさんは当然として、ロバート・シュラーさんもなかなかです。
もともと実家にこの本あったと思うけど、めんどくさいから古本で買って、久しぶりに読んでみた。

いや、凄くいいねえ。
積極思考の波動がビンビン伝わって来る。
超いい本ですので、今だと1円+送料くらいで買えるので、是非買って読んでみてください。
読んでいて光のエネルギーが注入されるのが、自分はわかるね。
相性もあるのかもしれないが。
前書きはピールさんが書いてたんだね。

8章が「忍耐-問題解決の鍵」
なので、『忍耐の法』に通じるものがある。
大事なことは、根本的に仏神を信じる心を持つということだろう。

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私は、なにも試みないで成功するよりも、むしろなにか偉大なことを試みて失敗したほうがよい!
目標をもたないことは、目標に到達しないことよりももっと懸念すべきことである。
忍耐力を失わないかぎり、あなたはまだ敗北してはいないのだ。
あらゆる逆境の裏には可能性が秘められている。
完全を期してなにもしないよりも、不完全でもなにかをするほうがよい!
はじめることは半分終えたことである!


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ところで、キリスト教を含む多くの宗教団体は、集団的自衛権に反対しているようだが、
宗教的に見てどうだろうか。
例えば、隣人が苦しんでいたら助けるのが宗教的立場ではなかろうか?
ベトナムやフィリピン、台湾が、中国共産党軍に攻撃されたら、日本は、「話し合いで解決しましょう」と言って、それを見捨てるのだろうか?
どちらかと言えば、集団的自衛権を行使して、悪の軍隊と立ち向かうのが宗教人として正しいことではないか?
「自分たちの国さえ平和でいられたら他の国がどうなっても知ったことではない」
と、本当に思えるのだろうか?
自分は、それは違うと思う。

今の日本で望んで戦争したい人は、基本的にはいないだろう。
ただ、悪の侵略軍とは戦わないでどうするのだ?
白旗?
思想統制された中国の植民地?
それとも、アメリカ軍、アメリカの若者だけに戦ってもらうのか?

中国共産党は、自分たちの国が民主化するくらいだったら敵を外に求めて侵略戦争を始める可能性が極めて高いのだ。
ただ単純に「集団的自衛権を行使したら戦争に巻き込まれる」といった議論は単細胞と言わざるを得ない。
平和を維持するために防衛戦争を戦わなくてはならない可能性もあるのだ。
悪に対するデフェンスを考えない国も人も滅びてしまう。


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